大学時代ワンダーフォーゲル部の思い出

(大山登山の記事の続き)

大山登山から大分経ちましたが、今日自分のブログを見ていたら、下書きしたままの記事が残っていて、この子を完成してあげないと思いました。笑笑

登山と言えば、私が大学時代にワンダーフォーゲル部に所属し、八ヶ岳、金峰山、鳳凰三山などの山を登った話をしたいと思います。

これを聞いた皆さんが、もしかして、えー?コンちゃんがワンダーフォーゲル?そんなイメージじゃないー!って言う方もいらっしゃると思いますが、こんな私は日本の大学時代にワンダーフォーゲル部のメンバーでした(^^)v

ただ入部したきっかけは、本格的な登山よりは、お出かけや小旅行をして日本のあちこちをもっと知り、友達を増やし、単純に楽しみたかっただけだったからです。しかしながら、ワンダフォーゲルって、そんな甘くないですね!^^;

最初にはこの間の大山登山と同じように、気軽にお出かけの楽しみ程度としか考えていなく、しかもサークルと部活の違いは全然分からなかったです。大学に入学した頃、キャンパスの中で様々な部活やサークルが出展し、新入生の歓迎祭が行われていました。ワオー!楽しそうなグループが沢山!と色々見た中、「山へ海へアウトドアしませんか?」、これを見て心が惹かれました✨

実は、中国にいた時の私は、いつも友達に囲まれ、ワイワイするのが大好きでした。日本に来てから一気に寂しくなり、言葉は全然喋れなくて、友達もほとんどいなかったです。嫌になって帰りたいという気持ちが度々ありました。日本語をあいうえおから勉強し始め、それから頑張って猛勉強し、日本語学校入学した時には成績が最下位だったのが3ヶ月でクラスのトップになりました。
その努力の全ては友達を作って楽しい毎日を過ごしたかったからでした。

「山へ海へアウトドア」

良し!これに参加すれば、色んなところに遊びに行けそうだし、友達も増えて楽くなれると思い、ワクワクしながら応募しました。
それから新歓合宿は大梅方面の山でバーベキュー♪(その頃は肉食でした笑) 豪快に食べ沢山飲んで、テントを張って野宿でした。
先輩達、同期達、意気投合の楽しい仲間達、皆がすぐ仲良くなり、今だにその時の笑う声が心に響きます。
そんな夜、皆で星空を眺めながら、恋話を交わしたりして、いつの間にか夢の中へ…それが私のワンダーフォーゲル部の初の活動でした☆彡ヽ(^。^)ノ

しかし、その後、初めての養成合宿である八ヶ岳で一気にイメージが変わり、ワンダーフォーゲル部とは、本格的な山登りだということが分かりました。

早速八ヶ岳に行く前に水道橋にある登山用品ショップで登山グッズを揃えるようにと先輩たちに連れられ、新入生の私達にとってはかなりの出費でしたが、これから山に行くぞーという楽しみの気持ちの方が強く、ワクワクしながら、迷わずに買っちゃいました。
テンションの高い私を見て、この子面白いなあと先輩達に言われました笑笑。

しかしながら、このテンションの高かった子がまさかその後山頂でワンワン泣いて帰りたいとか、焦げたご飯が食べれないとか、ワガママを言ったり困らせたりするとは、先輩達も想像もつかなかったでしょうね😂

八ヶ岳は山梨県と長野県を跨り沢山の峰があり、遠くから見ると「八」の字のように見えるため八ヶ岳と言われているそうです。その中の最高峰の赤岳は標高2899mあり、冬山で日本百名山の一つとして知られています。登山初心者の私が初めて登った山がこの八ヶ岳でした。

なんでワンワン泣いちゃったの?

実は具体的な理由もなく、全ては想像と違うし、観光だと思っていたし、本格的な山登りって、ホンマにしんどいわーとびっくりしました!
当時のワンダーフォーゲル部は人数が一番ピークだったらしく、部員が13人いました。(実はずっと人気のない部活ってその後知りました。泣笑)男子達が20kgのリュクサック、女子は10kg!お鍋、ガスコンロ、お米、カレーやシチューの材料などの食料品、寝袋、防寒グッズ…あらゆる生きるために必要なもの全て、皆で分担して持っていきました。
経験のない私はお化粧のセットまるごと全部持っていたけど、結局使うところじゃなく重くて捨てたい位でした(笑)。

8つの山頂を、4つの行程で予定を立て、全ルート、起床と睡眠の時刻、登りと休憩時間、何時からどこから出発、何時にどこまで到着、毎日何時に何を食べ、全ては予定通りでした。本当に深夜3時に起きて雪道の中でシュッパーツでした!

沢山の難関の中で、今だに思い出したら心がビクビクするのは、崖と崖とを繋ぐ一本の木だけで作られた細くて手すりのない橋とも言えない橋を渡らなければならなかったことです。その橋とも言えない木が2mほどの長さ、その下は万丈深淵、落ちたら無言終わりですね!
もちろん普通に歩けば大丈夫なはずでしたが、恐怖心が強かった私にはどうしても怖くてたまらなかったです。
でもそこで進まないと戻る訳にもいかず、他の道もなく、渡るしかなかったです。足がぷるぷるしながら、渡ってみたら、途中で立てられなくなり、赤ちゃんのように四つんばいになってはってみたら、下に向いてしまい、崖の岩と川を見てさらに怖くなり橋のど真ん中でパニックになり動けなくなりました…

その時に、先輩の一人が迎えに来てくれて、リュックを下ろしてもらい連れて行ってくれました。
助かったーと心から叫び、なんと生死の乾坤一擲のようでした!

そしてその直後、しばらく歩いたら頭に木の枝がぶつかり、それでもう我慢の限界だと、思わずワンワン泣き始めました…
私はここで死にたくないー!と

今振り返ってみたら恥ずかしくて笑えるかもしれませんが、当時は本当に怖かったですね!
でも泣いたら意外と発散できたようで、心も体も少し楽になり、急に勇気と元気が出てきました。
だってあんな生死の瞬間も味わったから、これからもうどこに行っても怖くないと思いました。そのまま登り続け、赤岳を含め4つの山頂まで登りました。赤岳の山頂からの眺めは、雲よりも高く立ち、いつもの世界より宇宙を感じるよいうか、感無量でした…
その後もう泣いたり怖がったりすることもなく、無事4泊5日の登山活動を終えました。

帰ってきてからしばらく筋肉痛がひどく、緑をみる度に山登りの辛い経験を思い出し、部活をやめようと何度も思いましたが、とにかく皆が仲良くてこんな仲間達から離れられないと思い部活動を続けました…

これが私のワンダフォーゲルの思い出です。私にとっては大切な経験であり、苦い青春の1ページでした🌿😊

それから山登りが好きになり、よく一人でも休日に山へと出かけ、リフレッシュする気持ちで山を楽しむようにしています。

(木になる)

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